実は、私は子供の頃から、文庫本を読んでいました。最初は、「少年少女文学集」みたいなのを「無理やり」親に渡され、読みましたが、読めない漢字や、意味のわからない単語を見つけると、母に聞きに行きました。たとえ、台所で食事作りに専念していようが、掃除していようが、くつろいでテレビを見ていようが、お構いなしでした。実は、母も本を読むのが好きだったので、それを知っている私は、気にも止めませんでした。今でも、昨日のことのように覚えています。あれは、間違いなく、小学校4年の夏でした。いきなり母が、本を読んでいる私の部屋に、すごい勢いで入ってきて、ドン、と分厚い本を2冊置いたのです。それは、新品の国語辞典とやはり新品の漢和辞典でした。その辞書の引き方を熱心に説明した後、さっさと出て行ったのです。その後も、辞書を引くのが面倒で、母に聞きに行くと、例の辞書を持ってこさせ、それをわざと引いて見せ、ここに出ている、と示しました。やがて、それでも聞きに行くと、「辞書を見なさい!」とそっぽを向かれ、仕方なく辞書を引き始めました。そして、「辞書」には、知らない言葉が、たくさんあり、しかも、多くの意味が、短い言葉に含まれていることを説明する、「魔法の書物」であることに気が付きました。その頃は、SFの単行本ばかり読んでいました。(本屋に行くと、見上げるような大きな大人が、不気味なものを見つけように、自分を見下ろしているのをよく見かけました。そりゃそうでしょうね、文庫のSFコーナーで、首にゴムでとめた帽子の小学生が、真剣に本を選んでいるのですから。)海外のSFが好きで、決まった小説家の本を読んでいましたが、いくら本を読んでも、結局は、「翻訳者」の日本語の語彙しか身につかない、と気がついて、今度は、その魔法の書物、「辞書」を読み始めました。そんなに分厚くない辞書でした。確か「ハンディ」なんとか、という国語辞典で、紙のカバーが無くなり(破れたのかなぁ、覚えてない)、赤っぽいビニールの表紙になっていました。また、諺や、中国故事なども、面白くて読み始めました。小学校6年から中学にかけては、故事諺辞典を、授業と授業の間の毎休みごとに、読んでいました。今でも、好奇心は、子供の頃と同じか、それ以上になっています。その好奇心を満たす、うってつけの手段が、「辞書を読むこと」だったのです。
「人に聞かずとも、本が教えてくれる。」
こんな風に子供の頃から思っていました。それを知ったのは、母のおかげでした。そして、マニュアルは、開発技術者が作った、ユーザー向けの、「辞書
: 魔法の書物」です。
さて、技術者志望の人が、どのように技術を身に付けるのか、ということを考えてみましょう。昔のような徒弟制度もあるようですが、これは、「口伝」をベースにした技術のこと。「技術者」ではなく「職人」です。本なんてないし、学校も無い、そんな世界での職人が後継者を作るのが、徒弟制度だと思います。ヨーロッパ中世のギルドなどに端を発し、日本では江戸時代くらいから、あった「親方
- 弟子」制度のようです。今では、熟練工の養成なども、行われているようです。
しかし、コンピュータに関して言えば、親方は「本」です。もし、IBMのコンパイラーチームの人が、教えてくれるのならば、本望ですが、多分彼らの本当にやりたい徒弟制度は、コンパイラー作成の熟練工の育成でしょう。IBMから見れば、私らは、あくまで、「ユーザー」なのです。結局、マニュアル以上の仕事はできないはずなので、限界線は、そこに引かれます。
(追記:2001-6-27後で読んでいて気になったのですが、「マニュアル以上の仕事」とは、「マニュアル」に書いていないこと、のことです。ありもしない、機能を考えても意味は無い、といった意味です。APIがあるといっても、API以上のことはできません。)
ユーザーのレベルを考えてみると、「正確な情報源」「豊富な経験」「専門知識」「意欲」「先見性」「熟練度(キー入力の速さなど)」「論理性」「交渉能力」「表現能力(文書、図解能力)」「伝達能力」「芸術性」...こんなあたりが、指標になると思います。ただ羅列しただけですが、多いですね。一つ一つすべて、思い当たるものばかりです。(「芸術性」は賛否両論ありそうですが..).これらの基底にあるのは、間違いなく、「知識」です。知らないなら、何もできないからです。AS/400に限って言えば、(あたりまえですが)その知識は、IBMが提供します。それは、レターでの発表やら、マニュアルやら、Webやら、提供手段は様々ですが、マニュアルが最も、豊富な情報で、最も、IBM内部の開発者に近い情報源(最近は、MLのほうが近いかもしれませんが...)になっています。これを読まない人が、読んでいる人間以上の知識や技術を身に付けるのは、不可能です。なぜなら、本当の仕事は、マニュアルの内容を理解した上で行われる、その応用や展開が、中核なのですから。
但し、多くのマニュアル以上の情報も氾濫している昨今では、マニュアルだけでは足りなくなってきているのも事実です。マニュアルを読むのは、子供が言葉を覚えるのと同じく基本中の基本で、さらに、絶えず、アンテナをはって、日本語、英語の文書を漁り、マニュアルの説明が、手薄な部分の理解に勤めていく、これが、今の私の現状です。技術を上げていくためには、この努力は、怠ることができません。金を稼ぐ以上、これは当然のことだと思いませんか?
そうそう、偶然、マニュアルを見て、おや?と驚くことがたまにあります。昔、DDSキーワードのDATEは、ジョブ日付だけだったのが、今は、パラメータをつけることで、システム日付を表示できるように、機能強化されていました。あるキーワードをみて、機能強化されていることに気が付かないで、「ああ、そんな基本的なこと、10年以上前から知っているよ、ふん、ばかばかしい、マニュアルなんて見る必要ない」と、奢り昂ぶっていると、そんな落とし穴に落ちます。一回読んで、もうわかった、とマニュアルを読まなくなるは、間違いだ、ということです。IBMのマニュアルに限って言えば、一回一通り読めば、次期バージョンからは、変更履歴だけ読めば、楽に変更、追加された部分は分かると思います。
(ただ、今のIBMのマニュアルは、分冊が細かすぎて、探すのが大変です。昔の「プログラマーの手引き」を懐かしく思うのは、私だけででしょうか?)