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updated on 2004.06.23

14.2.閏年の判定方法

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いまさら、閏年?なんていわないでください。正しくは4で割り切れるだけではないんですよ。昔、先輩に聞いても、えっと百で割ってそれでそれが4で割り切れて...あれっ?違ったっけ?みたいな感じではっきりしないこともあるんですよ。それで、閏年にまつわる話をここに載せます。

ユリウス暦

紀元前46年に、それまでの太陰暦を基礎とした独特のローマ暦から、エジプトの太陰暦に見習い、制定されたのがユリウス暦です。(ばいユリウスシーザー)。この暦では、4年に一度一日増やすことで、実際の一太陽年に近づけていました。

ちなみに、ローマ暦は1年10ヶ月だったが、エジプト暦で12ヶ月になり、追加された2ヶ月を年のはじめに持ってきたので、Octoberが8を意味するのに+2ヶ月されて10月になってしまったのです。

春分がずれた

実は、正確には、一太陽年は365.2422日(365日5時間48分46秒)です。端数の0.2422日×4=0.9688となり、ほぼ一日となります。ユリウス暦はこれで調整していたのです。ところが、この「ほぼ」一日という誤差が積もり積もって、紀元前1世紀に春分が3月21日だったのに、紀元後16世紀には、3月11日になってしまった。キリスト教では復活祭が春分の後に来る最初の月満月の、次の日曜日だったのです。(これが10日も狂った)。

グレゴリー暦

そこで、時のローマ法王グレゴリオ13世は、

  • 1582年10月5日より14日までの10日を暦から除き(つまり、1582年10月4日(木)の翌日が10月15日(金)となった。10月4日はユリウス暦最後の日。日付を飛ばすことで、あくまで春分の日をニケーアの宗教会議で決められた3月21日に戻るよう努力した。)
  • 春分の日を3月21日とさだめ(これは325年のニケーアの宗教会議で決まっていたものを、再度確定したことになる。)

    「注意」ここでの「春分の日」は、キリスト教上の問題で、私たちが普段、祝日と意識している「春分の日」は正しくは「真の春分の日」とよばれ、天文学上の誤差(地球の軌道の動きや様々な天体の要因による)により、年により異なる。この祝日はほとんど計算不可能なので、求めるなら学者さんが予測したテーブル値によらざるを得ない。(秋分の日も同じ)(2000-2-20)簡略の計算式が有りました。但し、有効範囲の年が決まっています

  • 閏年の置き方を改めた
グレゴリー暦からの新しい閏年の求め方
西暦紀元年数が4で割りきれる年を閏年とする。但し、100で割り切れる場合は、これを100で割り、その商がさらに4で割り切れない時は平年とする。(割り切れて初めて閏年。)

 つまり、100で割り切れるならば当然4で割り切れるのですが、 1600,1700,1800,1900,2000,2100のうち、閏年は1600年と2000年のみです。早い話、4年に一度一日足してたら、多すぎてしまったので、400年間に三回例外を設けて、減らして調整したのです。これにより、誤差が極めて小さくなったわけです。

1600 1700 1800 1900 2000 2100 2200 2300 2400 2500 2600 2700 2800 2900 3000 3100 3200
閏年 平年 平年 平年 閏年 平年 平年 平年 閏年 平年 平年 平年 閏年 平年 平年 平年 閏年

別に困らない?

さて、過去を扱う業務はさて置き、未来のみで考えると、「4で割って割り切れたら閏年」の例外は、2100年です。少なくとも私は生きていないで、例外なんていらないなぁ。(ちゃんちゃん)  

参考記事

 


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