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よく使うマニュアルです

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updated on 2004.06.23

17.3.コンピュータとの出会い その2

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おはようございます。

ところで、第一回で言い忘れたのですが、皆さんのコンピュータの知識は偏っていませんか?専門学校卒業の方なら問題ないと思うのですが、ぜんぜん関係ない勉強をしてきたのなら、何か基礎的な知識をつけたほうがいいでしょう。これから先もコンピュータの仕事をするのなら、皆さんが勉強する基礎的な知識は、「必ず」役立ちます。本で読んだことが、実際に目の前で起こるのです。面白いですよ。標準的な知識は、「情報技術者試験」の参考書(ハード、ソフト)それから、「オンライン技術者試験」、一般的な会計とか、物流などの業務の知識を学びたければ、「中小企業診断士」の参考書(私は通信教育の教材だった)が役立ちます。何も、試験を受けなくてもいいのです。(もちろん、受けてもいいのですよ)。目的は、コンピュータの「常識」を学んでほしいのです。いくらAS/400のRPGが作れても、「常識」が無くては、半人前です。よろしいですね。

DOSの夜明け

NECがPC9800(16ビット)を出したころ、DOSの話題が、各雑誌にジャンジャンと出てきました。曰く「DOSってなんどす?」とか、「DOSは便利。輸出用PCはすべてDOS搭載」など、まあ今にしてみれば、まるで新しい生き物が発見されたかのような騒ぎだった。ほんとは私もそれまで、よく分からなかった。BASICとどう違うの?そのころのDOSはCP/MMSDOSが主流だった。そもそもFM7で動くものは、マイナーなOS9だけだった。(オーエスキュウではなく、オーエスナインと読む)。驚くことに、日本メーカは、国内では、ROM BASICでも、輸出用は、DOS(つまりFDD付き。DOSのDはFDDのこと)をつけていたのです。そうしないと売れないそうです。(どの道売れなかったのだろうが)。そして、雑誌の白黒のページには、輸入PCの宣伝が出ていた。アップル?そんな会社あるの?女の子みたいな名前のPCだなぁ。なんて思っていました。日本の閉鎖的なPC環境からは、海外のPCは、まさに異国の出来事。でも、記事で必死に騒いでいるなあ、くらいの印象だった。とりあえず、記事は読んで、よく分からんけど、読んで、頭で理解した。何しろ、目の前にDOSは無い。ベッドに寝転んで、なんだそりゃ、へー、などとぶつぶつ言っていた。

BASICの功罪

DOSが理解できなかったのは、ひとえにBASICのせいです。だって、電源入れたら、当然のように出てくる。DOSってこれのこと?なんて思った。もちろん違った。結局、DOSはPCの環境制御をしているのだ。このBASICだって、他の言語だって、何でもかんでも、DOSの支配下に置かれるのだ。DOSが、ファームウェアと連携して、外部装置ともやり取りするし、ファイルの制御もするし、マルチタスクまでこなす。(このころはマルチユーザは紹介されて無かったと思う。完全なスタンドアローンなのです。)

そして、Disk BASICはほとんど同じことをしていた。これじゃ分かるはず無い。ただ、DOSはNECのマシンでも、どんなマシンでも、共通にできる(ファームへの制御をDOSの下位層で吸収すれば、人間から見た目で動きは同じ)メリットは分かった。つまり、「たとえば」FM7のゲームをNECに簡単に(そのままは無理だが)移植できることがわかった。(実際は、そんなDOS無かったので、できなかったが。)

新機種ラッシュ

その後、FM-7が新機種を出した。NECはこの3倍くらいの速さで、どんどん新機種を出した。(ゲームで、経営シュミレーションがあったけど、面白かった。自分が、パソコン会社の社長になって、工場のラインや、新型作成の研究費や、営業マンを雇ったりして、最後に「資金繰り」の画面がでる。ここで赤字ならばゲームオーバーです。ある地域のシェアをとるのが目的のゲームでした。マニュアルによれば、いかに多くの新機種を出せるかが、シェアを増やす要素のひとつでした。でも、私の友人はPC9800をローンで買って、数ヶ月後、もっと安くて、性能のいい新機種がでて、荒れていたのを覚えてる。)

FM-7の新機種は、FM-77だった。その後、SONYが「(松田)聖子よりちょっと賢い、ヒットビット」をだした。「じゃ、たいしたことないなー」と思ったのは私だけではないはず。ただ、AVに力を入れていた。自分のFM-7はファームでは8色。ソフトで中間色をだして、256色にした。でも何万色もだす機械は、夢のようだった。その後FM7AVがでて、SONYに対抗していた。もうこのころから、パソコンの新機種に興味が無くなった。どんどんでる。どれをつかめば、どうなるのか分からなくなった。雑誌の中の噂話が、外れていたり、当たっていたり。もう処置無しだった。雑誌もあまり買わなくなった。

雑談 (ノイマン)

ところで、皆さんは、ノイマンという名前をきいたことありますか。ノイマンとは、人の名前です。フォンノイマン。この人は、数学者でもあり量子物理学者としても有名な人です。ENIACの開発のとき、真空管を山ほどへやの壁みたいなところにつけるのですが、この真空管により演算が決まります。つまり、別のことをしたいときは、数学者(コンピュータができたころには、コンピュータ技師はいません。数学者がやっています。)が、真空管の配置を考えて、また並べ替えをします。たしかNHKのテレビで見たのですが、女の人が6,7名で、紙とにらめっこしながら、壁一面の真空管をせっせと取り替えていきます。これでは、やってられませんよね。そこで、ノイマンは、汎用的な真空管の配置をして、その動作を、あらかじめ手順を準備して、実行させる、プログラムというものを考えたのです。真空管の配置は換えなくてもいいのです。プログラムを変更するだけで動きが変わるのです。それで、ノイマン型プログラムとかいわれます。この考えは、原始的な?8ビットではよく分かります。LOAD命令で、ゲームプログラムを、RAMに展開する。RUN命令で、RAMにあるプログラムを実行する。現在に至るまで、この大原則は、DOSにしても、WINDOWSにしても、AS/400にしても同じです。

特約店(BP=Business Partner)入社

このころ、大学を卒業して、IBMの特約店に入社した。三田にSEセンターがあった。この会社では、8割がSYSTEM36で、1割SYSTEM38で、残り1割が自社ブランドだった。さて、この研修時代私がしていたことは、IBM5550(渥美清がイメージキャラクタだった。すごい。)のマルチプランや、BASICや、ワープロを半年位していた。何しろ、同期の人たちはコンピュータ初めての人もいて、いちいち説明したのを覚えています。あいてが、日本語DOSでも、本で読んでいたので、あまり悩まなかった。他のみんなは、くらーい顔して、デバッグして、その人たちに呼ばれれば、教えてあげて。恒例の朝礼で、自分の番のとき、「パソコンはデパートでは、文具売り場に売っています。パソコンは文具です!もっと、気楽にやってください。」と激を飛ばしたりしました。(当時は、パソコン売り場は独立してなくて、文具売り場の片隅にコーナーがなんとなくあって、そこで売ってました。)

IBM 5550シリーズ 

このころ、家では、オーム社の「図解コンピュータシリーズ」をずーと、ずーと、ずーと、読んでいました。前から持っていたものは、また読んで、それが終わると、新しい本を買って、読んでいました。このころはまだ、情報技術者試験なんて気づかなかった。今みたいにたくさん本は売ってなかった。(今の人はうらやましい。適度な情報量が、コンパクトにまとまっているんですから)。

パソコン研修や営業研修が終わると、いよいよ、SYSTEM36の研修に入りました。

ここからは、次回にしたいと思います。大きく内容が変わりますので。

起立、礼、着席。


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