いろいろな人に、聞きました。
ERPって何?
「それで、業務統括をして、企業の潜在的な利益を引き出すんだ」
「業務統括の最高権力者は、社長なので、社長が真ん中で、推進するものだ」
「カスタマイズは最小限にして、業務改革や統括の時点で、業務をパッケージに合わせるんだ」
「とにかく横文字を増やして、社長を御輿に乗せりゃ、いいものだよ...???」
自分は日本系企業も、外資系企業も経験しましたが、コンピュータの使い方の発想は、アメリカ人の方が上です。たとえば、パッケージに合わせて、業務や組織を変更する話しはあまりに有名ですし、本当の話です。コード体系ですら、変更してしまいます。「合理的」を「美徳」と考える民族の結果です。
これに対し、日本は、業務中心、企業中心で、パッケージを変更して、業務に無理矢理合わせようと、努力します。業務の変更など、おそれ多いことなのです。人が行う仕事の流れを変更するのは、「おっくう」で「やってはならないこと」ですら有るのです。社長の意見で業務が作られたのなら、その業務を変更することは、その社長を否定する事になります。「封建的」、「旧態依然」、これが日本の風土です。ヨーロッパで言えば、「大陸的経験至上主義」です。前例が有れば、それにしたがう。いったん下された判断は、そのような経験を経たことになり、似たような事例は、その過去の判断を引きずります。(昔の欧州では、長老や家父長の判断が最高権限を持ったことによる。大学時代、「英米法」を学ぶ上で、勉強しました。裁判官の判例が、法的効果を持つのが、「判例主義」。この理由が、判例は裁判官の経験した判断、として、高く尊重するため=大陸的経験主義から来るものでした。)つまり、新しいことをなかなか、しようとしません。
まあ、アメリカも判例主義なので、欧州と同じなのですが、コンピュータに関しては、ひと味もふた味も違います。パッケージに業務を合わせる、という発想は、逆転の発想に近いものを感じませんか?そして、いま言う、ERPの、基本発想に繋がっているように思えてならないのです。CIOだけでなくCEOまで巻き込むのは、早い話、パッケージ導入のキーマンを掴んで離さず、そのまま、パッケージが前提とする業務に、組織や業務フローを合わせようとするため、と思えるのです。しかも、その業務の仕様変更に、コンサルの協力を仰ぐことで、かなり、説得力の有る業務変更が可能となります。しかし、そのパッケージは、単に統合パッケージにすぎません。パッケージそのもは変わり無く、それを導入する時の、まわりの人間の「思想」が変わったのです。
昔から知られた、逸話(アメリカでは業務をパッケージに合わせる)は、いま、日本でも現実のものとなりました。統合パッケージの衣として、ERPという名前を得て、どんどんと広がって行くでしょう。我々技術者から見れば、かすプログラムの集まりであることは、見ただけで分かるのに、ユーザーはそれに気づきません。バグの多さで気が付くのかなぁ?
いつも疑問に思うのですが、このERPを導入した効果測定は、どの用にするのでしょう。一般的には半年後に、行うものとされています(確か、システム監査でそのくらいだったと思う)。勿論、数字でしっかりと把握出来る、効果測定で無ければなりません。人的工数の減少(残業減少、入力伝票の減少...)や、費用の減少、等、金額、数量に見積もって、行わなければなりません。さて、比較するのですから、導入前の値が分からなければ、評価できません。しかし、業務改革(パッケージの変更をしたくないから)に真剣で、肝心な効果測定はなおざりです。あれだけお金を投資した、効果測定は、大丈夫なのだろうか?
それから、業務統括や改善で、無駄を省くという効果、は当社の場合、15本社がJDEを使っていた場合のみ、言えることです。日本国内だけでは、無意味です。たとえば、自社グループが、ワールドワイドに、JDEに統合されて初めて、ERPが成功したと言えると考えます。もし、違う統合パッケージを持ち出していたら、各々の特性に合わせた業務になり、統合が出来ないかもしれないからです。単一のパッケージならば、まあ、制約は皆同じなので、業務改革フェーズ2でも、話しがしやすいでしょう。(本来、本国のHQで全部ガイドラインを打ち出すべきです。そうすれば、商品コードや、分類コード、取引先コードなど、世界共通になるのですけどねぇ...)