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よく使うマニュアルです

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updated on 2004.06.23

16.1.所感

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一日が始まる

朝、「おはよう」といって、席に着く。端末を立ち上げ、立ち上がるまでの間に、マシン室へ行って、バックアップテープを取り替える。席に戻り、メッセージ表示をして、昨晩のEOD(End of Day)にエラーが無いか確かめる。通信の状況はどうか。売上報告はきちんと送信されているか。そして、ノートを見る。私は、PCのスケジュール管理ソフトは使わない。キーボードをたたいてナンボの仕事だから、画面はプログラム専用になっている。だから、ノートにペンで書き込む方が速い。今日の予定を確認して、プログラムの作成開始。ええと、どこまでだっけ。ああ、これか。と、昨晩帰り際に書いた、ノートの走り書きに見入る。そうか、このプログラム作っていて、途中で「外サブ」にも、取りかかり、結局「外サブ」のテストまでだっけ。本体に組み込んでテストだな。そして、SP(STRPDMのこと)をして、作業開始。

こうして、プログラマーの一日は始まる。独り言をぶつぶつ言うのも、周りの人間は慣れてきたようだ。黙っていると、パーティション越しに、覗く輩もいる。「起きてるよ!」と、心の中で叫ぶ。動物園の動物の様に見られているのだろうか?ついでに愛嬌でも振りまけば、喜ぶのだろうか?

集中力

プログラムは、集中力が要る。誰がなんと言おうと、「集中力」が要る。一種の「禅」の境地に入ることもよくある。こんな時に、「プログラムやっててよかった」と思う。まるで、ただ一人、孤高の山に挑む、登山家のようだ。本当に、集中しているときは、独り言も出ない。キーボードと指が合体して、コンピュータの端末を通して、脳とAS/400とがリンクしているようだ。いや、それよりも、むしろ、まるで神々しい真理に後一歩で手が届きそう、と言う感じか?このとき、不意にいろいろなアイデアが浮かぶ。困るのは、今、専念していることとは、関係のないことを思いつくことだ。後で、と思っても忘れてしまう。「いいこと思いついたのだ」ということだけ、記憶にあって、肝心の内容は忘れているのだ。ノートに走り書きするが、後で見て、自分が書いたのに、なに言っているのか、分からないこともある。集中していると、あわててノートに書いて、リズムを崩したくないのだ。その集中力も、せいぜい3時間程度しか保たない。これが切れると、反動がら「ぐったり」する。たまに、追いつめられて、6時間以上キーボードを、マシンガンのように、たたきまくる事もあった。よくやったなぁ、と自分を誉めることもある。限界を知っているから、頑張ったかどうかは、自分が一番よく分かる。

芸術、信念、職人気質

自分の気に入ったプログラムは、何度もソースを眺める。もっと、エレガントにならないのか。もっと、合理的にならないのか。もっと、効率はあがらないのか。もっと資源を使わない方法はないのか。100人に見せて、100人が理解できるか。一息に読めるソースか。何度も何度も見る。電車に赤ペンを持って乗り込み、添削する。あっ、という間に目的の駅につく。まるで、タイムマシンに乗ったかのようだ。次の日、添削通りに修正して、コンパイルして、テストする。そして、再びソースを印刷して、鞄に入れて、電車に乗る。ペンを忘れたら、キオスクで買う。ためらいなどない。集中して、試行錯誤、ああ、DDS忘れた。持ってくればよかった、と後悔することもある。プログラムの合理化のため、ファイルのレイアウトを変えることも、ためらわない。いいものは、いいのだ。絶対的信念。「この方法が正しい」と、理屈がしっかりあれば、もう迷うことはない。やはり、ものを作る人には、必ず、何らかの信念を持つべきだ。「信条」といってもいい。これがかけると、いいものは出来ない。まるで、職人だ。そして、この信念、信条は、1000人のプログラマーがいれば、1000個あるのだ。どれが正しいなんて、無意味かもしれないし、有意義かもしれない。正直言って、私の信条は正しいか分からない。でも、「ある」のだ。そう、それが正しいかなんて、無意味なんだろう。でも、無くてはならないのだ。

趣旨

こちらをたてれば、あちらがたたず。たまにぶつかる局面だ。どっちにしよう。両方優先できない。特に、2つのサブシステムを融合しようとすると、起きる。両方の担当者の顔が目に浮かぶ。ついでに、両方とも「こっちを優先して!」というだろう。ここまでくると、プログラムの世界は、とても人間くさくなる。発想の転換をして、両者一両損の方法もあるかもしれない。でも、大抵は、原点に戻ることで、光明が見える。「システムの趣旨」だ。なぜ、このシステムをつくるのか。大抵、それは、「システム効果」そのもだ。これに立ち返ることで、解決できる。というより、信念が貫き通せるのだ。自分に迷いがあれば、よいシステムなど、できない。よいプログラムなどできない。プログラムは、人が、人のために、つくるのだ。もちろん、芸術品は期待されていない。見やすく、使いやすくて、データは正確で、かゆいところに手が届き、分からなくてもマニュアルが完備してる。一般の人が考える、普通のシステムはこんなところだろう。でも、私から見ると、これは、大成功のシステムだ。成功の秘訣は、趣旨一貫した信念と、プログラムのセンスと、宣伝の上手なことだ。

堪え忍ぶ

「忍耐力」と「集中力」は、表裏一体だ。忍耐出来なくては、集中できないのだ。忍耐力は「精神力」といってもいい。ソフトハウスで、駆け出しの頃、客先の検収でトラブルに巻き込まれた。しかも、肝心のSEが別のプロジェクトのため、東京を離れてしまった。一人、たった一人で、おかしいプログラム、それも、係長の作ったプログラムや、先輩のプログラムを追いかけて、毎週来る10万件のデータに、ゾッとしながら、デバッグした。いや、戦った。「自分のプログラムじゃないのに!どうして俺が犠牲になるのだ。」という気持ちに、何度も襲われる。夕方になると、ユーザーは、皆帰り出す。ビル管理のおじさんたちが机にいすを乗せて、掃除機をかける。異様に大きく聞こえる「ガー」という音を背中に聞きながら、計算センターの結果と、AS/400の結果が、うん億円中、30円合わない、こっちは15円合わない。データは50万件を遙かに越えて、今週末にまた10万件来る。急がなくては。早くしなくては。おかしいまま、これ以上データを増やせない。担当のユーザーは革靴を磨いたり、ヒモを縛り直したり、して「待っている」。つらかった。投げ出したかった。泣き出したかった。逃げたかった。でも、「やらなければ!」、と思った。今思えば、そのユーザーは優しかった。どうみても、新米一人残してやらせていることは、明白だったろうに。

人工生命

最初の頃、プログラムをパズルだと思っていた。今でも、時々そんな風に思うこともあるけど、実際は違う。「生きている」のだ。システムの中のプログラムは、臓器そのものだ。データが血液のように体を巡る。DECのPDP11をめぐるMITの輩は、昔は鉄道研究部がバックボーンだったらしい。模型電車を事故無く走らせる。電車がここに来たら、踏切を倒す。2台の電車をぶつけることなく、交換機でやり過ごさせる。駅の停車時間を調整して、追突をさける。確かに、システムだ。「生き物」が生活を営むがごとくの周到さを持っている。しかし、やがて、鉄道事故は起こる。たった一つのプログラムが、全体を簡単に壊す。とても、大規模な、そして静かな、大事故がおこるのだ。これは、パズルではない。個々のプログラムは、どんなに小さなプログラムでも、必ず、全体のための「個体としての任務」を持っている。断じてパズルの一種などではないのだ。


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